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『果てしなきスカーレット』「初日からスッカスカ」を招いた「予告編」の罪と『鬼滅』『国宝』での壮大な“サブリミナル”

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(写真:サイゾー)

 11月21日に公開された細田守監督の最新作『果てしなきスカーレット』(2025)が大爆死を爆走中という話題が盛り上がっている。公開日から座席はスッカスカ、2週目にして上映スクリーン数は半減。現在は「なぜ爆死しているのか」という考察があふれる始末で、着席率はともかく、話題だけは途切れない。

『サマウォ』の“呪い”

『時をかける少女』(2006)や『サマーウォーズ』(2009)などで知られる日本アニメ界のヒットメーカー・細田監督。前作『竜とそばかすの姫』(2021)以来4年ぶり、待望の新作だったはずだが、初週末4日間(月曜祝日含む)の興行収入は2億7000万円に撃沈した。『竜そば』が初週末3日間で動員60万人、興行収入8億9000万円超のロケットスタートを切ったことを鑑みれば、大苦戦と言い切っていいだろう。

〈3〜4席しか埋まってない〉〈私以外誰もいない〉といった現場からの報告や〈虚無。もうこの言葉しか思いつかない〉〈理解に苦しむ展開の連続〉などの困惑、映画レビューサイト「Filmarks」での総合評価は2.9点(12月2日現在)といった低評価は、大衆のニーズがないことを反映しているともいえ、たとえばTOHOシネマズ新宿は初週1日に13回も上映していたのに、2週目は6回と大ナタ。12月5日~の3週目は3回にまで減らされ、迫力の臨場感を味わえるIMAXレーザー上映は消滅した。他の劇場でも似たような事態だ。

前作『竜とそばかすの姫』は批判まみれになりながらも最大ヒット

 初動の酷評が、続く出足を鈍らせた――と見るのは簡単だ。が、本作が異様なのは「初日から」空席があったことだ。

〈近年の細田守監督作品にはそもそも期待値が低いので、少しでも面白かったら儲けものくらいの気持ち〉という初日鑑賞者の声にあるように、細田作品はそのすべてが絶賛ロードを歩んできたわけではない。前作『竜そば』も、ご都合主義の展開には批判も多かった。とはいえ予告編解禁時には〈サマーウォーズ感あるな、予告だけで鳥肌がぱない〉〈曲がめちゃくちゃよくて俄然観たくなった〉など、名作『サマウォ』再来の期待感や、主人公の声および劇中歌を担当した中村佳穂の歌声にしびれる人が続出。「初日」から各劇場で満員状態が続いた結果、興収は66億円を突破。細田監督の最大のヒット作となっている。

 翻って『果てスカ』がなぜ「初日」からそっぽを向かれてしまったのかを改めて考えると、結局「予告編」の罪に行き当たる。ゲーム・アニメ誌の元編集者で、アニメに関する著書もあるライターの多根清史氏が、「予告編」とその集客効果、そして「2025年ならでは」の“不運”を指摘する。

罪深い「予告」を振り返る 繰り返される「これまでと違う」主張に冷めるファン

 本編映像が【特報1】として初公開されたのは、4月29日のことだった。ヒロイン・スカーレットが、「衝撃の《王女(ヒロイン)》誕生」というコピーとともにアニメーションで登場。馬に乗って荒野を駆けたり、激しいアクション姿を見せたりと、何か事情があるヒロインであることが示唆された。

 その後、本格的なチラ見せ映像として【予告1】が公開されたのは8月1日だ。スカーレットが「復讐」のために戦う女性であることが前面に押し出された。また、彼女が旅をする《死者の国》の世界観、そしてもう一人の主人公である看護師・聖が登場。物語の全体像が明らかとなった。

 10月10日には【予告2】が公開。冒頭20秒で『時かけ』から『竜そば』までの過去作がダイジェストで紡がれたのち、赤や黒を基調とした暗くおどろおどろしい画面に「“復讐”の物語が幕を開ける」の文字が浮かび上がる。細田作品といえば現代日本の青い空の下、はつらつとしたキャラクターが飛び回っているイメージが強かったが、今度は「そうじゃない」ことがハッキリとわかるうえ、キャラクターデザインも激変し、“今までとは違う感”がこれでもかとアピールされた。

 一見すると細田監督の作品とはわからないほどの予告編。その意図について本作の宣伝を担当した東宝の岡田直紀氏は、「いつもの細田監督の通り“ドキドキワクワク”で押すこともできるんですけど、見方を変えて、作品の中に潜んでいる“復讐という狂気”をちゃんと伝えたほうが作品にとっても良いんじゃないか」(日経エンタテインメント!『「果てしなきスカーレット」で挑む世界』)と明かしているが、多根氏は「問題はこの映像を見て『見に行きたい!』と心を揺さぶられた観客がどれほどいたのか、という点ですよね」と首を傾げる。

「なるほど、今回の作品はどうやら『中世ファンタジー』だと。でも、細田さんが作る中世モノって観たいか?っていうのが、予告を見た時点での正直な感想です。ファンは“いつもの味”を求めているわけで、これまでは“食べてみたらおいしいところもある”と耐えていたファンもさすがに“コレジャナイ”感が強すぎて、大量離脱を招いたのでは」(多根氏、以下同)

「新しい挑戦」や「こだわり」を支えられなかった“土台の薄さ”

“コレジャナイ感”が客の前に提供された背景には、細田監督の挑戦があった。パンフレットには、「今までにない新しいルック」を目指し、「一般的なセルアニメの画面を更新して、新しい美意識で新鮮な画面を構築したいと昔からずっと模索していた」と語る監督の言葉が記されている。新作の度に「新しいもの」への追求を口にしてきた細田監督は、今回もとにかく「新しい」映像美を生み出す使命感に燃えていたようだが、観客がそれを望んでいたかどうかは別の問題であろう。

 そもそも映画の年間劇場公開本数はここ10年ほど1200本前後で、平均すれば1カ月あたり100本という多さのうえ、動画配信サービスの充実で、客は「見るべきもの」を厳選するフェーズに入っている。並行して、映画料金の値上げが続いている。

 以上を踏まえると、「お金を出して、ソンした気持ちになりたくない」という“守り”の心理が強まるのは必然だろう。かくして、“挑戦的”な作品は博打扱いとして食指が動きづらくなる。皮肉なことに、それが過去にヒット作がある作り手であればあるほど。そしてそのギャップが大きければ大きいほど。人々は「安心」がほしいのだ。

 多根氏は、「(細田監督は)“挑戦”という大義名分のもと、それを支える土台が築けていなかったのでは」という。

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細田守(写真:Getty Imagesより)

「もちろん、制作陣が映像面で挑戦的な取り組みをするのは自由です。ただその場合商品として、観客を圧倒する説得力が大切になる。でも半径数メートルのネタや自分の経験から作品をつくってきた細田監督だから、壮大なテーマを手がけるという土台が全然ない。生きるとか愛についてというメッセージを言いたいのはわかるんだけど、ヒネリがなく、そのまま主張をセリフにしているだけ。キャラクターも見せたいシーンの都合ありきで、感情を伴わない人形を動かしている感じ。こういうところが、細田監督は脚本を書かないでくれといわれる所以でしょう。

 技術的にはピンポイントですごいことをやってるかもしれないけど、ハムレットとか中世ファンタジーに思い入れも深い理解もなさそうなところが、予告で伝わっちゃってるんだもん。『何か新しいものを見せてくれるのかな』という胸の高鳴りはなく、なんかもう無理すんなよ……という空気感が醸成されてしまった」

「新しさ」への呪縛にとらわれすぎた制作陣と、ツッコミどころ満載の予告編

 美術監督を担当した大久保錦一氏によれば、「3Dと2Dの狭間とでもいう美術」を目指したといい、たしかに画面上に表現された16世紀デンマークの世界は“芸術的”、と見ることはできよう。CGを使用しながらアナログの質感にこだわったという《死者の国》のキャラクターたちも、新しい表現を模索したいという意欲は感じる。多根氏が続ける。

「結局、それらのこだわりが観客の心を動かすために使われていたのか。『鬼滅』をはじめ最近のアニメは本当に技術がすごくて、スペクタクルな演出で見たことのない空間へ連れていってくれ、テーマパーク的な楽しさもあります。

 本来、予告編とは本編を見たくなるような“楽しさ”や見どころが濃縮されているはずですが、『果てスカ』にはそうした期待を感じさせない。細田監督の作家性を理解したうえで、“話はともかく映像はいい”と、そのアニメ表現を拠り所にしていたコアファンにとっても、『付き合ってられない』と愛想を尽かせた人たちが続出してしまったということなんじゃないかと思います」

 アーリーアダプターとなっていた細田作品のコアファンが、申し合わせたように無言で初日の劇場鑑賞を見送った。事前口コミも〈予告解禁の度に期待値が下がってる〉とネガティブなものが多く占めた結果、「前評判が良ければ見に行こうかな」という潜在層も様子見に入ってしまったことになる。

『鬼滅』『国宝』『チェンソーマン』…大ヒット作の存在が招いた“ネガキャン”

 そうはいっても予告編のPVだけで、初日があれほどガラガラになるのかという疑問もわく。2本の予告編の再生回数は、【予告1】が68万回、【予告2】が39万 回視聴で、計100万再生ほどに過ぎない。一方で、予告編が圧倒的なパワーで、圧倒的な数の潜在層に「確実に」届いた場所がある。劇場だ。

 本作の予告が放たれた半年ほど前から現在に至るまで、2025年の劇場では『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』や『国宝』など、記録的なヒットを叩き出す映画が豊作だ。しかも、それら作品を何度も鑑賞するリピーターも多い。半ば強制的に見させられる「リーチが高い」劇場で『果てスカ』の予告は繰り返し繰り返し、何百万、何千万の目に触れたのだ。

 もちろん予告を見て本編を楽しみにする人もいたが、少数派だった。〈毎回毎回おもんなさそうな長い予告やるで腹立つ〉〈ヒロインの声が合ってなさすぎて見る気失せた〉等々の“萎える”声からは、多根氏のいう「予告編がまるで逆効果」だったことがうかがえる。

「復讐といってもホラーやサスペンスのような先の読めなさも特にない。人がダラダラと死んでいくだけで、過剰な殺りくみたいな爽快感があればまだいいけど、そこまで突き抜けていない。そのうえで唐突に愛とか言われましても、みたいな。芦田さんは俳優として素晴らしいと思いますが、だからといって声優としての集客実績はないですよね。東宝もせっかく『鬼滅』や『国宝』で映画館に足を運ぶファンを増やしてきたのに、この予告では、もはや『これは見に来ちゃダメだぞ』と何百万人もの潜在層にサブリミナルしているようなものでしょう」

日本で大コケも海外でウケた『未来のミライ』という“前例”、『果てスカ』は?

 見に行った“少数派”からあがる悲鳴の数々に、「そこまで酷いなら逆に見てみたい」という一部の層が鑑賞し、「思ったより悪くなかった」との意見も徐々に登場してはいるものの、その熱量は“激推し”にはほど遠く、巻き返しは厳しい。

 そうした日本での酷評はさておき、別軸で評価されうるとすれば海外だ。制作陣は当初から海外を視野に入れていて、「第82回ヴェネチア国際映画祭」や「第50回トロント国際映画祭」「第63回ニューヨーク国際映画祭」など複数の国際映画祭へ出品し、東宝の公式チャンネルでは「世界が絶賛!!!!」と大本営発表されている。さらに東宝とソニー・ピクチャーズエンタテインメント共同による全世界配給も決定。来年2月13日に予定されている全米公開は、3月15日(現地時間)開催のアカデミー賞と世界的興行の双方を視野に入れたスケジュールだ。

 果たして海外での逆転劇は起こるのだろうか。

「細田監督は『未来のミライ』で、日本国内では微妙だったのに、海外では第91回アカデミー賞長編アニメ映画賞にノミネート、第46回アニー賞の長編インディペンデント作品賞受賞など、やたら評価されたことがあります。家族の成長物語を丁寧に描き、評価されました。なんだかんだ海外でウケるのはオリエンタリズムなんですよね。自分たちにないものは凄く見える。ただ、その意味でも『ハムレット』を題材にした本作は、ちょっと厳しい。だってこすり倒されているテーマだし、いっそ桃太郎のほうがまだウケるんじゃないかという」

 ツッコミポイントが多すぎて、語りたくてたまらなくなる『果てスカ』。話題に乗っかるなら、急がないと終映も近いかも。

『国宝』が22年ぶりトップ更新

(取材・構成=吉河未布 文=町田シブヤ)

町田シブヤ

1994年9月26日生まれ。お笑い芸人のYouTubeチャンネルを回遊するのが日課。現在部屋に本棚がないため、本に埋もれて生活している。家系ラーメンの好みは味ふつう・カタメ・アブラ多め。東京都町田市に住んでいた。

X:@machida_US

最終更新:2025/12/06 13:00